長崎代表派遣を終えて、8月20日(日)建設ユニオン本部で「建設ユニオン平和の集い」が長崎代表派遣の報告と平和運動への理解を広げるため、41人の参加で開催されました。私自身、長崎に行ってすぐの平和の集いということもあり、核兵器の廃絶、憲法9条の改悪反対、絶対に戦争はしてはいけないと強く感じた集いでした。

ここからは長崎代表派遣での出来事・・・

8月7日(月)多摩北支部の仲間3人で待ち合わせ、始発電車で羽田空港に向かいました。直前の台風の影響で飛行機が飛ぶか心配されましたが、定刻より少し遅れましたが無事に長崎へ出発できました。

 

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長崎空港からはリムジンバスで市内に移動し、新地中華街で待望のチャンポン頂きましたが、風邪をひいてて何も味が分からなかったのが超残念・・・そしてまず向かったのが・・・

 

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全建総連の慰霊碑

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 そして、原爆資料館前でガイドさんと合流してフィールドワークが始まりました。

誓いの火灯火台(8月9日にアテネから運んだ聖火が灯される)

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浦上天主堂遺壁

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爆心地地下断層(ガラスの内側はまだ放射能が残ってるので清掃はしてない!)

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如己堂

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永井隆記念館

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浦上天主堂の下の河原沿いには原爆により吹っ飛ばされた重さ50トンもある鐘楼がそのまま保存されています。

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東洋一を誇っていたのに原爆により破壊された浦上天主堂ですが、長崎の「原爆ドーム」として市民は保存するように求めていたのに、カトリック信者の多い米国にとって協会が原爆ドームとして残されるのは都合が悪いと圧力があり、再建されたという話も聞きました。

ガイドさんから聞いた話で、原爆投下の前には、米軍が日本語で新型爆弾投下の予告ビラを二度も空中からまいたのに、憲兵たちによって回収され、市民にはほとんど知らされなかったという話がありました。

調べたら被害者は一般市民ばかりで、県や市の幹部、軍の幹部は皆無事でした。

その後、原爆資料館の見学しましたが、黒こげの多くの死体の写真や崩れ落ちた建物等愕然とする資料がありましたが、私が一番印象に残ったのは実物大の原子爆弾ファットマンの実物大の模型です。

こんなちっぽけな爆弾一つで一瞬にして7万人もの人を殺したのかと驚愕し、平然としてそれを爆撃機に積み込む様子のビデオも放映されてて、戦争の恐ろしさを感じました。

現在の核兵器は、長崎の5百倍もの威力があり、もしどこかの国が使ったらその報復と進み、人類は間違いなく滅亡し地球は死の星となる事も知りました。

1日目の行事は以上で終わりです。

2日目は平和公園入り口付近で、署名運動からスタートしました。

今回は「ヒバクシャ国際署名」という、すみやかな核兵器廃絶を願い、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶ事を、すべての国に求めるもので、過去最高の301筆もの署名を集める事が出来ました。

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その後慰霊碑前に移動して、全建総連主催「被爆72周年建設労働者職人原爆殉難者慰霊祭」に参列しました。

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長崎建設産業労働組合の田上副執行委員長による、核兵器禁止条約になぜ日本は参加しないのかと憤りの開式の辞で始まり、参加者全員で黙祷後代表献花があり、献水では菅原委員長が葛飾柴又帝釈天の御神水を奉献しました。

折鶴献納では全国から15万羽を超える折鶴が献納され、慰霊の言葉の後、参列者全員で献花をして閉式になりました。

170人の参加でしたが、各県連代表と地元長崎の組合員以外は建設ユニオンだけみたいで、ユニオンの平和運動にかける熱い思いを感じました。

午後は「全建総連職人のつどい」に出席しました。

27県連96人の参加で開催され、役員の挨拶後、1歳半の時に被爆された川副忠子さんの講演でした。

写真を使っての悲惨な原爆の被害の紹介の後、被爆者として取り組んできた運動の話では、長崎県原爆被爆教職員の会会長として高校生平和大使、高校生1万人署名活動を支援し、

国連欧州本部に署名を届ける高校生に団長として同行され、今までに140万筆の署名を届けられました。

今年の国連本部で開かれた核兵器禁止条約交渉会議も傍聴され、採択にも立ち会いましたが、唯一の被爆国である日本がボイコットした事には苦言を呈し、最後に「核廃絶に向けて一歩を踏み出そう」と訴え、講演は終わりました。

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長崎空港では、前日味が分からず残念だった長崎皿うどんを堪能して帰京しました。

戦後72年たった今でも、その事実を風化させないようにと長崎の人々の努力には敬意を表しますし、私達も平和のありがたさを当たり前とせず、行動していくことが大切だと考えさせられた長崎の旅でした。

機会があれば、来年の広島にもぜひ参加したいと思ってます。

 

里見彰