建設現場の実態
3.公契約法(条例)制定にむけて
1)建設投資と公共工事
日本全体で建設業に使われるお金、いわゆる建設投資総額は国民総生産の約14%に当たり、 全労働者の1割が建設業に従事している。
その建設投資総額は1996年度(平成8年)は82兆5千億円だったが1999年度(平成11年)は 70兆8千6百億円(建設省の建設投資推計)になっている。その約47%が公共工事である。
全体でみると公共工事は削減の方向にあるが、建設投資の約半分を担っている公共工事について、その透 明性が図られ、建設労働者の賃金が明確になれば建設生産活動にとってすばらしいことになるだろう。
そこにおける汚職構造は排除され健全な発展を遂げ、若者にとって魅力のある労働現場となるだろう。
これは決して理想ではない、何故か。それは先進58ケ国に公契約法があり、建設生産活動がこの法に従っておこなわれているからである。「世界の先進国を誇 る日本」であるとするならば、公契約法に従った公共工事が必要であるし、ゼネコンの多くが海外に営業所をもって建設生産活動をおこなっているわけだから、 その法律があることをゼネコンの幹部は知っているはずである。
にもかかわらず、なぜゼネコンはグレーゾーンのなかで公共工事を受注し、談合構造にメスを入れないのだろうか。 あらゆる部門がグローバルリゼーションするなかで、外国企業も建設業に参入してくるだろう。 それらも視野に入れながら業界の発展を考えなくてはならない。
そうした国際的視野にたって業界の発展を考えるならば、労働者の賃金を企業利益の対象とするのではなく「建設生産物の質」や「企業経営への努力」こそが重視されなければならない。
2)下請構造の実態
日本の建設工事は数次に渡る下請構造となっている。特にゼネコンの工事現場では、望ましいことではないが 4次・5次などの下請は普通であり公共工事でも同様の形態をとっている。
ゼネコンが下請に対して、2次までの業者しか現場には入れないと言って契約しても、実際には2次のヘルメットをかぶり作業着を着て施工台帳の労働者名簿に2次の労働者と記載してあれば、元請のゼネコンの現場所長は2次 の労働者であると信じるかもしれない。また、発注官庁の担当者もそれらの施工台帳を見て2次の労働者であると 信じるだろう。しかし、労災事故や労働賃金の不払い問題が起きてから4次や5次の労働者であることが判明することもある。これらが現場の実態である。
公共工事では、予算決算及び会計令によって工事の契約の予定価格は「総額について定めなければならない」 (第80条)となっており「単価についてその予定価格を定めるこができる」となっていて、確かに単価は決める が個別労働者の賃金を決めることにはなっていない。「総価によって決める」方式がひとつのグレーゾーンとなっ ているのであって、そこを改めなくては建設工事の透明性は確保されない。
150臨時国会において「公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律」が2000年(平成12年) 11月8日に参議院で成立した。この法律そのものは非常に重要であるが、このことによって公共工事について完 全な透明性が確保されるとは思われない。確かにこの中で「建設労働者の賃金、労働条件が適切に行われるように 努めること」という付帯決議が参議院でつけられたが、これで公共工事に透明性が確保されたとは言えない。
今後この法律によって施工台帳が数次にわたる下請まで明らかになり、さらに発注者へもその施工台帳が提出され ることにはなる。そのことは大変すばらしいことであるが、しかし、この法律の中でも「労働者の賃金が明確でな はい」ことが問題である。
3)現場労働者の実態
これまで現場労働者の実態について若干触れてきたが、簡単に言えば「景気の変動によって労働の賃金が変動」し、 これほどまでに不安であっていいのかということである。建設業は、日本のGDPの14%であり、全労働者の 約1割を占める基幹産業である。
“土建国家”と言われるように公共工事をめぐる汚職構造、低単価受注競争の中で零細な下請業者の倒産や夜逃げ、 自殺が日常的であると述べたが、「安ければいいと言う時代ではない」「受注の最低価格を決めなければ建設産業 はダメになる」(ゼネコンの幹部)と言うのも本当の言葉ではないだろうか。
確かに重層下請制をなくし、無駄をはぶき安い価格で建設生産がおこなわれることは誰でも臨むところである。 しかし、低単価による手抜き工事や職人の生活を脅かしての建設工事は誰も臨まない。
職人は「いいものを作って施主(消費者)に喜ばれることが俺たち職人の生きがいだ」と言う職人の言葉を良く 耳にするがこの生産の喜びを現在の建設業界は奪ってしまったと言わなければならない。
「このビルは俺が作ったんだ」と言う建設職人の誇りの言葉が消えてしまった。