建設労働者の就労構造と賃金のあり方

2、建設労働者の就労構造と賃金のあり方

1)建設労働者の就労構造と賃金労働条件の課題

建設業界にとって「丁場」という言葉は日常用語であり、建設にたずさわる者にとって、さして違和感は ないが、建設関係以外の人達にとっては何のことか分かりにくいと思うので、ここで若干「丁場」につい て説明を加えておきたい。丁場とは建設業の場合「仕事の区域」と言った方が良いのではないだろうか。

これを大雑把に分けると〈1〉町丁場、〈2〉住宅企業丁場、〈3〉野丁場になる。
町場とは、住宅を建てる大工・工務店を中心とする職域であり、1973年(昭和48年)のオイルショック ころまでは、住宅の新築は概ねこうした大工・工務店が消費者と話し合って住宅を生産していた。

しかし、都市への人口の流入によって都市部では住宅戸数が不足して、総住宅戸数と総世帯数のバランスが崩れ、 かつての住宅戸数不足からミニ開発や分譲住宅の販売によって住宅の余まり傾向へと変化していくなかで 「住宅の商品化」が進んできた。
一時は「建てて売って逃げる」という陰口が不動産屋などで言われるように粗悪品、いわゆる欠陥住宅が作られてきた。
これらにも一部の町場工務店が関わっていたことも事実である。

バブル期の全国の新設住宅着工数は180万戸代あったが、バブル崩壊後は110万戸から120万戸代へと 新設住宅戸数は減少してきた。それとともに都市部においては町場(丁場)業者の住宅新築の機会は極端に減少してきた。しかし、地方では今だ町場業者が住宅新築市場においては大きな力をもっている。
1959年(昭和34年)ごろ大和ハウスが増築用として販売した「ミゼットハウス」は、工場生産住宅の 第1号ではないかと思うが、その後住宅不足に目を付けた業者は、競って工場生産住宅を販売し始めた。

これらが“プレハブ住宅”“ツーバイフォー住宅”(壁組み工法ともいわれ壁の力で建物をもたせる方法)と いわれる住宅が多い。
中には“在来工法”といわれる軸組住宅(柱の力で建物をもたせる方法)、現在そうした工場生産住宅を多くのメーカーが新築住宅として生産販売している。

いわゆる営業マンが新築しそうな住宅を訪問して売り込む方法や住宅展示場に顧客を呼んでセールスする方法、 宅地を開発して宣伝し、土地住宅とも売り込むなどで生産活動をおこなっている。 そうした業者のもとに従事している零細業者や労働者・職人を〈2〉の住宅企業丁場と呼んでいる。
野丁場とは、多くの公共工事、そしてビルやマンション、再開発やリゾート開発・ゴルフ場開発、 海の上に橋をかける工事やトンネル工事・鉄道、原発やダム工事などをおこなう建設・土木会社の現場のことを そう呼んでいる。

現場の最先端の4次や5次の下請業者間では、見積もりや契約書もなく工事を行うことが最優先されている。
「いついつから工事にかかってくれ」と親会社からいわれると弱い立場にある下請業者は「わかりました」と言っ て労働者を引き連れて現場に入る。工事も半ばを過ぎたころ「予算はこれしかないので頼むよ」と言われた 下請業者は泣く泣く赤字覚悟で工事を完了させる。

こうしたことを業界では「指し値発注」や「あてがいぶち」と呼んでいるが、これらが一度や二度だったら何 とかなるだろうが、たび重なる指し値発注は零細業者を苦しみの中にたたき込んでしまい中小零細業者や労働者の 倒産や夜逃げ、自らの尊い命を絶つこという結果を招いてしまう。

皮肉にもこれらの悲惨な現象が集中しているのが野丁場である。
そしてまた一部の政党や政治家との癒着や公共工事を巡る汚職構造はこの野丁場に巣づくっている。

企業と政治家との金をめぐるスキャンダルは後を絶たない。ゼネコンに対して政治家は「公共工事をとってやる」、 その見返りに「手数料をよこせ」、政治家に対して「弱い立場」にある行政マンは、「自分の仕事を遂行するた め」に政治家の「言うことを聞いておく」という構造が、ゼネコン・政治家・行政マンとのスキャンダルとなって マスコミに時々叩かれることになる。
とりわけ地方自治体の首長や一部の国会議員の「賄賂事件」は後を絶たないのは建設業界である。

茨城県知事へゼネコンが1千万円の賄賂を渡した事件の裁判で、裁判長は「組織的に賄賂を渡しており、 極めて悪質だ」(平成12年9月12日朝日新聞)など組織的な汚職事件や中尾元建設大臣の汚職問題は利権を 貪るその最たるものであるが、株価が50円を割っている建設会社、通称ゼネコンと言われているが、その企業 ですら金融機関へ数千億円という常識では考えられない規模の債権放棄を要請し、それが認められておきながら 片方では一部の政党への政治献金をするという行為はいったい何を意味するのだろうか。

いつ倒産するかわからないので「夜もおちおち眠れない」建設会社の「生き残り」(いずれもセネコン幹部の声) をかけた低単価受注競争は多くの零細業者や労働者を犠牲にして、今その建設生産活動がおこなわれている。 零細業者や建設職人がバブル期に「どれだけ美味い汁を吸った」というのだろうか。
そしてバブル期に作った不良債権への責任が建設職人にどれだけあるというのだろうか。
「こんなに安い単価や手間でまともな仕事はできない」「こんな建物がどのくらい(何年間)もつのだろ うか」という現場労働者・職人の生の声が聞かれるようでは建設業界の健全な発展は望めない。
国民の税金を使いながら、こうした声が聞かれるような「公共工事」や堂々と賄賂が渡されるような 「汚職構造」が存在していて、健全な建設生産活動は望めないし、グローバル化する経済活動のなかで 建設業界だけが、こうした問題を孕んでいて21世紀はどうなるのだろうか。
とりわけ公共工事における工事代金の透明性が必要であり、そのためには現場労働者の賃金の明確化こそ 大切ではないだろうか。

 

2)賃金体系

建設業の場合は賃金形態が次のように別れている。

〈1〉月給賃金、これは電気工事や水道工事に従事する労働者は比較的この形態が多い。これは言うまでもなく 多くの産業の労働者と同じようなシステムである。

〈2〉常用賃金、これは通常アルバイトや派遣労働者の賃金体系と同じように「1日いくら」といわれ労働基準 法でいわれる「日々雇い入れらる者」と同じ意味であり、業界用語で労働日数のことを出面(でずら)といい、 出勤簿のことを出面帳という。この出面帳に従って毎月支払われる賃金体系のことである。

〈3〉手間請賃金、この賃金は建設業以外の人には、なかなか理解されにくい賃金体系であるが、この形態が 建設生産活動のなかで窮めて多いこともまた事実である。そして低単価構造を招いているのもこの形態による ところが多い。

これは労働基準法第12条の「出来高払制」である。そこでビル建設現場を簡単に頭のなかで描いてもらいたい。 いわゆる出来高と言うのは、分かりやすく言えば基礎工事が終わってコンクリートで平らな面を作り鉄筋を組み コンクリートパネル(コンパネ)で枠をつくり(これを型枠と言う)ポンプ車で生コン(コンクリート)を流し 込み乾燥してから型枠を解体するという工程がある。この中で型枠を組むのは型枠大工という職人、 鉄筋を組むのは鉄筋工、ポンプ車でコンクリートを流し込むのは圧送工、型枠を解体するのは型枠解体工 (通称バラシ屋とも言う)などの職人がおこなう。

こうした躯体工事をそれぞれの職人・労働者が分担して行っている。これらの場合、その形態によって違うが、 型枠大工は「何平米(ヘーベー=平方メートル)組んでいくら」鉄筋工も「何トン組んでいくら」、圧送工は 「何立米(リュウベ=立法メートル)打ち込んでいくら」、解体工は「何平米解体していくら」という出来高制 になっている。

これらの工事を親方が仕切っていて、労働者を多い場合は数十人、少ない場合は3から4人 で施工をして常用賃金として労働者に支払っている。中には3から5人くらいで工事をおこない、毎月20日なり 月末に締め切って出来高に従って契約会社に請求をして翌月の5日などに支払いを受ける。
その金額を工事に携わった仲間(労働者)で請負金額を山分けする仕組みになっている、これを手間請賃金と言う。

 

3)景気の変動と建設労働者の賃金

景気の変動によってこれほどまでに労働者の賃金が変動するところはあまりないのではないだろう。
特に野丁場といわれるゼネコン現場労働者の賃金の変動は由々しき問題である。かつてバブル期には、「良い思い をした」建設労働者も居たことは居た。

例えば、ある現場では「釘袋(大工が腰に下げている釘を入れる白い袋)を下げていれば、技術・技能がなくて も1日に3万から4万円もらった奴もいる」と言う声を何度か聞いたことがある。
また、町場の大工が「町場で1日に1万5千円の常用賃金で仕事をしているなら、野丁場の型枠大工は1日に2万 円だ」といって、町場の大工が野丁場へ流れて行った。「水は高い方から低い方へ流れるが、職人は手間の低い方 から高い方に流れる」と良く言われたものである。

そうした労働者は、しばらくすると「1日に2万5千円になった」、また「2万8千円になった」「常用で1日に 3万円でしかやらないよ」ということなどが言われていたが、バブルが崩壊すると「1日の手間を3千円下げられ た」「2千円下げられた」こうした声が方々から聞かれるようになってきた。
そして「野丁場の型枠大工は1日に1万3千円から1万6千円が普通じゃないか」「まだ下がっているし、これじ ゃまともな仕事は出来ねーや」(平成12年暮れ)こうした現場労働者の声が聞かれるようでは決して健全な姿と は言えない。
業者による低単価受注競争は、先端の零細下請業者や労働者を犠牲にしている。
こうした事態は悲しむべき出来事である。技術・技能を持った労働者の賃金が学生アルバイトなみの賃金の時もあ ると聞く。経済の大きな波に晒される労働者の賃金体系で将来的な生活設計は不可能であるし、このような労働現 場に若い世代が自分の将来を託して入職してくるだろうか。
ましてや労働者の最低基準である労働基準法の枠さえ与えられていない。

公共工事の見積もり積算は、公共工事設計労務単位(二省協定賃金=国土交通省・農水省)によって現場労働者 の賃金台帳の調査をおこない各職種の賃金が発表される。それを基本に積算をおこなうことになっているが、そし てその積算された三省協定賃金が現場労働者に支払われることにはなっていない。
例えば1日2万円で見積もり積算されても元請のゼネコンの下に名義人(最近名義人は減少傾向にある)が1次業者となっている、その下に2次業者・3次業者が存在する。
それらの業者が次から次に施工金額をピンハネしていく。その中に労働賃金も含まれているから、当然賃金もピンハネされることになる。

現場労働者の賃金は先にも触れたように1日に1万3千円から1万6千円になってしまう。1万6千円の賃金で20日稼働して月に32万円である。年収にして3百84万円で、そこから健康保険や生命保険、国民年金・税金を 支払うわけだから、生活のレベルは押して知るべしである。
ましてやボーナスや退職金(建設業退職金制度に加入している事業所も1部にはある)は皆無であるばかりではな く、ともすれば現場での手道具や現場へ行くための車(道具を運ぶため車が必要)の費用も自腹である。現場で暑 さにも寒さにも耐えながら仕事をしなければならない。

そこには高度な技能・技術が要求されながら4百万円くらいの年収で「こんな賃金でまともな仕事はしていられな いや」という“うめき声”のような建設労働者の言葉が自然に耳底に聞こえてくるのも当然かもしれない。
建設業全体が住宅企業やゼネコンなど大手企業が賃金の決定力を持ってきている。それは建設投資の全体的な 減少のなかで、それまで住宅生産の主要業者であった町場工務店の受注が減少し、資本力と基礎体力のある大 手企業が零細業者や労働者を吸収しながら受注競争に勝ち建設生産への支配力が強くなったためである。

それまで建設業界の労働賃金は、古くからある「太子構」という業者の集まりや全建総連などの労働組合が 賃金を協定して発表し、業界に一定の影響を与えていた。
しかし、先にも触れたように建設投資の減少のなかで、業者による低単価受注とそれから派生する指し値発注 は、太子構や組合の「協定賃金」を破壊してきている。
さらに、労働者は企業に対して「賃金交渉をする能力」すら持ち合わせていない。

それは労働基準法などでいう「雇用契約」すら交わさない構造になっている。もしも賃金交渉をしようもの なら「明日から現場に来なくても良い」という構造を知っているから「なにも言えない」のが現実である。
職人特有の手間請という賃金体系が「仕事をもらっているのに賃金のことを言えるわけがない」という構造 をつくっている。
だからこそ法的な処置が望まれるのである。